わんこと暮らすこころがまえ【犬の十戒・犬の聖歌】

飼い方・しつけ
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わんこをお迎えするきっかけは様々です。

保護犬、ブリーダーや知人から、ペットショップなどなど、色々な出会いがあると思います。

特に子犬はあどけなく、何をしても可愛いですよね。

これから長く一緒に暮らすことになるわんこをお迎えするにあたり、ぜひご紹介したい言葉が2つあります。

それは、「犬の十戒」「犬の聖歌」です。

特に働きながらのわんこたちとの暮らしは、どうしても一緒にいられる時間が限られてしまいます。

仕事が忙しく、日々の生活に余裕がなくなってくる時こそ、初心を忘れないことが大切です。

わんこは人間の言葉が話せません。

私たち人間は、わんこの言葉が話せません。

お互いの意思疎通は、不可能ではないですが、それは私たちが意識しないとできません。

わんこたちは常に私たち飼い主に意識を向けてくれます。

しかし私たちは他事もあるため、24時間わんこたちに意識を向けることが難しいです。

人間は自由に生活できますが、わんこたちは私たち飼い主が全てです。

この記事では、私たちの都合ではなく、わんこたちの視点で、これからの暮らしを営んでいく覚悟ができる「犬の十戒」と「犬の聖歌」をご紹介します。

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犬の十戒

ノルウェーのブリーダーMrit Teigen氏がわんこの飼い主になるお客さんに手渡していた『The Ten Commandments of Dog Ownership』が原典といわれており、わんこと人間との理想の関係が犬視点で書かれた内容となっています。

1.私の一生はだいたい10年から15年です。あなたと離れるのが一番つらいことです。
  どうか、私と暮らす前にそのことを覚えておいて欲しいのです。

2.あなたが私に何を求めているのか、私がそれを理解するまで待って欲しいのです。

3.私を信頼して欲しい、それが私にとってあなたと共に生活できる幸せなのですから。

4.私を長い間叱ったり、罰として閉じ込めたりしないで下さい。
  あなたには他にやる事があって、楽しみがあって、友達もいるかもしれない。
  でも、私にはあなたしかいないのです。

5.時々話しかけて欲しい。言葉は分からなくても、あなたの心は十分私に届いています。

6.あなたがどのように私を扱ったか、私はそれを決して忘れません。

7.私を殴ったり、いじめたりする前に覚えておいて欲しいのです。
  私は鋭い歯であなたを傷つけることができるにもかかわらず、あなたを傷つけないと決めているのです。

8.私が言うことを聞かないだとか、頑固だとか、怠けているからといって叱る前に、私が何かで苦しんでいないか気づいて下さい。
  もしかしたら、食事に問題があるかもしれないし、長い間日に照らされているかもしれない。
  それとも、もう体が老いて、弱ってきているのかもしれません。

9.私が年を取っても、私の世話はして下さい。
  あなたもまた同じように年を取るのですから。

10. 最後のその時まで一緒に側にいて欲しいのです。
  このようなことは言わないで下さい、「もう見てはいられない。」、「居たたまれない。」などと。
  あなたが側にいてくれるから最後の日も安らかに逝けるのですから。
  忘れないで下さい、私は生涯あなたを一番愛しているのです。

わんこの1~2歳は、ヒトの成人くらいで、その後は1年で4歳ずつ歳をとると言われています。

私たちをあっという間に追い越していってしまうのです。

成犬は人間の4倍のスピードで生きているとすれば、私たちが仕事に行っている間に、わんこたちにとって一日が過ぎているわけです。

だからこそ、一緒にいる時間は尊く、大切に丁寧に彼らと向き合いたいですね。

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犬の聖歌

これは、アメリカで行われた裁判での弁護士の言葉です。

1869年10月28日、アメリカミズーリ州でオールド・ドラムという名の猟犬が羊飼いにより銃殺されました。

オールド・ドラムの飼い主は、銃殺した羊飼いを告訴、双方は弁護士を雇い裁判に発展しました。

1870年9月23日、裁判でオールド・ドラムの飼い主の弁護士が「アメリカに住まう犬へ捧ぐ」と題したテキストとして記録されています。

この弁護士は、「彼はこの件を勝ち得るか、またはミズーリ州のすべての犬に謝罪せねばならない」と主張しています。

「アメリカに住まう犬へ捧ぐ」

この世の中では親友でさえ、あなたを裏切ったり、敵になったりします。

手塩にかけて育て上げた子どもたちも、育てた恩を忘れてしまうかもしれません。

私たちが信頼する最も身近で親しい人も、信用を翻すかもしれません。

金銭は失われるかもしれない。

一番必要としている時に、手元にはないかもしれません。

名声はたった一度の思慮に欠けた行動によって消えてしまうかもしれません。

上手くいっているときの私たちの栄誉に対してひざまずいていた人々は、失敗の暗雲が私たちの上を覆ったとたんに、恨めしく意思を投げつけてくるかもしれません。

この利己的な世の中が手に入れられる、絶対にわがままでなく、決して見捨てず、決して恩知らずでも不誠実でもない友こそ、犬なのです。

陪審員の皆さん、富める時も貧しき時も、健やかなる時も病める時も、傍にいてくれるのが、あなたの犬なのです。

寒々しい風が吹きつけても、雪が激しく降っても、飼い主の傍ならば冷たい土の上でも眠るでしょう。

与えるべき食べ物がなくても、手にキスをしてくれるでしょう。

世の中の荒事によって、負った傷や腫物を舐めてくれることでしょう。

貧しき飼い主であろうとも、王族であるかのように安眠を守ってくれます。

友が一人残らずあなたを見捨てようとも、犬は見捨てはしません。

富が翼をもって飛び去り、名声が地に堕ちても、犬は天を旅する太陽のように、変わることなくあなたを愛してくれます。

幸運に見放されて、友人も家もない世の果てに追いやられても、忠実な犬は共にあること以外の何も望まず、危険から守り、敵と戦うのです。

すべての終わりが来て、死が飼い主の身を包み冷たい土の下に埋葬されるとき、人々が立ち去った墓には、前の足の間に頭を垂れた気高い犬がいます。

彼の眼は悲しみにくれながらも、油断なく注意を払い、死した飼い主にさえも誠実と真実を捧げているのです。

ジョージ・グラム・ベスト(弁護士)

人間は世の中を発展させてきました。

だからと言って、人間が世の中で一番優れているわけではないと思います。

人間は弱く、もろく、愚かでもあります。

嘘をついたり、騙したり、気が変わったりするのも人間です。

わんこは人間のようではありません。

いつも愛情深く、意志があり、決して飼い主を裏切ったりはしません。

そんな彼らは、飼い主を選ぶことはできません。

だからこそ、わんこの飼い主になることを決めた私たちは、わんこたちの愛情を受け止めるに足る器になれるよう、努力と工夫を重ねていきたいと切に思います。

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まとめ

働きながらの多頭飼いは、決して楽しいことばかりではありません。

子犬の時期は、トイレやしつけ、先住犬との関係構築などで忙殺されます。

高齢犬になってからは体調の管理や看病などで時間や体力の負担がかかります。

そのような大変さが、わんこの頭数分、倍になります。

それでも私は、全てひっくるめて、多頭飼は素晴らしいと言えます。

それは、犬の十戒のように、わんこたちが教えてくれる多くのことがあるからです。

犬の聖歌のように、わんこたちが与えてくれる多くのことがあるからです。

生きること、死ぬこと、無条件に与えるということ、信じること。

人間が未熟な部分を、わんこたちは教え、与えてくれのです。

働きながらわんこをお迎えすることを検討されている方、既に多頭飼いをされている方、わんこはお迎えできないが大好きな方など、様々な境遇があるかと思いますが、大切なことはわんこたちに真摯に向き合い続けることが、飼い主の務めだと思います。

今回は、わんこをお迎えする際だけではなく、わんこを看取るその時まで、ひと時も忘れずに抱えて行きたい言葉たちを取り上げました。

みなさまの素敵なわんわんライフの一助になれば幸いです。

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